【流れるように生きていたい】

 まず始めに今この文章をかいているとき、僕は東京で宿がないため羽田空港にいます。携帯の充電器とパソコンを忘れたために、絶望していた僕でしたが近くにいたフィリピン人の方と仲良くなった結果、充電器を譲って頂きました。助け合いって素晴らしい!(写真は拒否られた)

 そんなこんなで深夜に暇な僕は、友人に進められて18歳になって思う言の葉をダラダラと紡いでいこうと思います。

 

 

 【流れるように生きていきたい】

 

 自分は何者なのか、何者になりたいのか、どのような人生を送りたいのか。

誰もが人生で1回は向き合う課題であると思います。それと同時に多くの人が言葉を詰まらせる問いでもあると思います。その答えを求めるために、社会学などの様々な分野が研究され、書籍が出版されていますが統一した答えはありません。つまり、

 

              人生に「絶対」の答えはない

 

ということだと思います。しかし、現代における社会、学校教育では「学校での5教科を勉強し、センター試験で良い点数をより、いわゆる名門大学に入り、そこから大企業に入社し普通のサラリーマンになることが正解!」などというあたかも完璧にみえるような虚像が存在しています。しかし、先程も言った通り「人生には絶対の答えはない」のだと思います。

 

であれば、その答えのない問題に対してどう向き合っていくか。それは、

「正解のない人生に対して、正解を出さないまま向き合うこと」

だと思っています。

 

僕は、高校3年になるまでは自分のことなど全く考えたことがなく、幼い頃から刷り込まれた考えを持って「普通」の生活をできる程度に過ごしたいという漠然としたモノを持っていました。

しかし、高3になって突然焦り出すのです。今まで「普通」でいいと口を揃えていた先生方が、周りの環境が「未来を考えろ!」と突然言い始めるのです。もはや、ホラーです。ゾンビばりに襲ってきます。

まぁ、僕は親が教員であるため、自然とその背中を見て教員を目指しました。ですから、教育と興味のあったデザインと建築のいずれかを勉強できる場所を志望しました。しかし、なんとも言えない不信感というか、もやもやが僕から離れなくて大学に行くのをやめました。言ってしまえば

 「未来」という答えのなく不安定な問題に対して今決断することをやめました。

(それはいつか書きます。)

 

 そして今考えてみれば、教育もデザインも建築もそれを達成するための手段にすぎない、僕はそれに囚われ身動きが取れなくなっていたのです。
言ってしまえば僕自身のOSがない状態で、アプリを大量にぶち込もうとしてる状態とでもいいましょうか。古いOSのパソコンに最新版のアプリを入れようとしてるのと一緒で、まさにフリーズしてしまったのです。

僕は僕自身のOSをアップデートし続けていくために流れるように生きていきたいのです。世界には5000以上の言語があり、僕の感情とは反対の感情が渦巻いてるわけでして、、、

なにを言いたいかというと、本当に大切な事は、自分がしたいことを自分自身で知っていることです。ですが、それは意外に難しい…

 

この時代、様々な書籍やインフルエンサーから様々な意見や情報が入ってきます。しかし、それが「絶対」であるとは限りません。

あまりに誰かを崇拝にすることは、自分自身の持っている自由を失うことです。

 

予測不能な時代の幕はもう上がり、未来は誰にも分かりません。100年ばかりしかない人生を楽しむために未来を憂いすぎても、期待しすぎてもよくない。私が生きられるのは今この一瞬一瞬なのだから。未来を創造し進んでいくためにも、より良い今を作り楽しみ人々の、自分自身の充実を図るべきだと考えます。

そのためにも今目の前にある「2018年をどのような自分で、どのように過ごしたいか」を考えてみて欲しい。それは、あなたの、僕の大きな一歩になると思います。